200年の歩み、未来への変革
塩野香料のルーツは、江戸時代後期に創業した薬種商・塩野屋𠮷兵衛商店にさかのぼります。
以来、200年以上にわたり、時代の変化にこたえ、挑戦を重ねてきました。
これからも、伝統に革新を次の世代へ、香りの可能性をひろげていきます。
塩野香料のルーツは、江戸時代後期に創業した薬種商・塩野屋𠮷兵衛商店にさかのぼります。
以来、200年以上にわたり、時代の変化にこたえ、挑戦を重ねてきました。
これからも、伝統に革新を次の世代へ、香りの可能性をひろげていきます。
江戸中期、幕府が薬種商の株仲間を公認したことで、大坂・道修町は「くすりの町」として活気に満ちていました。塩野香料の歴史は、この一角で1808年に創業した薬種商「塩野屋」に始まります。塩野屋は主に和漢薬を扱い、地域で信頼を重ねてきました。幕末から明治にかけて西洋文化が流入し、政府が西洋医学を推奨する中、塩野屋の三代目𠮷兵衛は伝統を守りながら、新時代への対応を模索しました。

時代が大きく変わる中、三代目𠮷兵衛の長男・光太郎は芳香原料に着目し、1908年に事業転換を決意。ジンジャーエール香料の輸入販売を開始し、店名を「塩野𠮷兵衛商店」に改めました。第一次世界大戦による輸入困難期には香料の自社製造に踏み切り、1921年には日本初の国産レモンエッセンスを開発。
続いてオレンジ、バナナなど品目を拡大し、1924年には「扇印」エッセンスとして市場に流通しました。

1929年12月、四代目𠮷兵衛は個人商店から株式会社へと大きな転換を遂げました。世界恐慌という厳しい経済環境下でも、香料需要は着実に拡大し、当社は生産体制の強化に踏み切ります。
1933年には大阪市淀川区に最新設備を備えた工場を建設し、供給力を飛躍的に向上。さらに、1935年には東京に拠点を設け、販路拡大を加速しました。また、柑橘原料の自給の為に台湾に工場を建設したのもこの時期で、事業基盤づくりを進めました。

戦時下、「香料」は奢侈品とみなされ、当社も事業の変化を迫られます。1941年、社名を「塩野化工株式会社」に変更し、香料以外の分野に生産技術を集中。そのような中でも、ポリスチレン(スチロール樹脂)の開発に成功し、日本で初めて工業化を実現したことは、化学工業史に残る快挙でした。終戦後、香料事業への復帰を果たした大阪工場は「扇印」エッセンスを国内市場に再投入。翌年には海外進出も再開し、戦後の混乱期を乗り越え、再び香料メーカーとしての歩みを始めました。

戦後の香料市場は、海外製品の流入により競争が激化しました。
当社は「技術力こそ競争力」と捉え、最新の化合物分析機器を導入し、研究開発を強化。香料の安全性研究にも早期に着手し、信頼性の高い製品づくりを推進しました。
1969年には牛肉不足対策として注目された「人造肉」の共同開発に風味付けの役割で参画し、これを契機に呈味香料分野に進出。1970年の大阪万博では、冷凍ハンバーグを提供するなど、食の未来を見据えた挑戦を続けました。これらの経験は、当社の香料技術に新たな広がりをもたらしました。

1980年代、当社は業務効率化のためコンピューターを導入し、本社と大阪工場をオンラインで連携。原料・製品管理の精度を高めました。1990年の「国際花と緑の博覧会」では、2つのパビリオンで空間放香による協賛を実施、機能性香料の開発にも繋げました。
さらに、医薬品原薬や農薬中間体、化粧品機材など、香料以外の化成品分野にも進出。1996年には「塩野フィネス株式会社」を設立し、1998年には福井に生産拠点を構え、医薬品原薬の製造を開始しました。

創業200年を超えた今、塩野香料は歴史の中で培ってきた挑戦の精神を受け継ぎ、香りの新たな価値創造に取り組んでいます。
社内ベンチャー「キチベエ」による空間演出の提案や、悪臭対策・野生動物の行動への働きかけなど、香りを環境課題に応用する取り組みを推進しています。さらに、宇宙空間での快適性やウェルビーイングなど、香りの可能性は未来へと広がり続けています。
私たちは、香りで人と文化を育み、世界をより豊かにする挑戦をこれからも続けていきます。
